今日は3月11日。
4年前の今日、2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒に
宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmの太平洋の海底を震源とする
東北地方太平洋沖地震が発生し、死者・行方不明者を18,483人も出す、
日本の大災害となりました。
この未曾有の大震災で亡くなられた方々、被災され今も不自由な生活を
余儀なくされている方に、謹んでお見舞い申し上げます。
今日は3.11・東日本大震災の時に起きたいい話や、不思議な出来事を
調べてみました。
3.11 あの日を忘れない
あの日。
2011年(平成23年)3月11日14時46分には自宅にいて、
地震速報をリアルタイムで見ていた私。
ニュースから流れてくる『けが人の報告は入っていません』という
アナウンサーの声に、普通に「思ったより大したことがなくて良かったね」と
家族みんなで安心したことをよく覚えています。
まさかあまりにも被害が甚大すぎて、情報すらまともに届けられない程
壊滅的な被害を受けているとはつゆ知らず・・・・。
あの時ほど世紀末感、自然の前に何もできない無力感を
感じた時はありませんでした。
住んでいる町が濁流に流され、愛する人を失った人々をテレビで見る度
辛くて悲しくて。
あれから4年経ち、災害にあった人たち以外の人は日々の暮らしの中で
あの震災の恐怖を忘れ、ごく普通に暮らしています。
でも、被災地の人達は進まぬ復興の中、明日をも知れない不安と闘いつつ
日々を暮らしているんですよね?
日本人としてはこの災害を決して忘れてはいけない。そう強く思います。
3.11 いい話
こういう大災害や大事件があると、略奪や暴動などが起きたりするところも
テレビでたくさん見ましたが、日本では大きく秩序が乱れることはなかったと
後日、絶賛されましたよね。
なので、辛い3.11の中でとてもいい話として言われているお話を集めてみました。
震度5強を観測したそうです。
震災当日来園した人々は7万人。ものすごいゲストの数です。
地震の時、パーク内はちょうどお昼のパレードの時間だったとか?
多分、『ジュビレーション』だったと思われますが、
あのパレードでは、フェアリーが何メートルもの高い場所に立っていたり、
他のキャラクター達も、高い場所にいたりしますよね?
でも自分たちは高いところから降りることもできない恐怖の中、
誰一人パニックになったりすることなく、
園内で動揺し、パニックを起こすゲストのみんなをなだめ、心配させないように
手を降って励まし続けたそうです。
また、キャストの皆さんもゲストの方々の安心・安全を第一に考え、
頭を守る頭巾用にダッフィーなどのぬいぐるみを配ったり、
お店の商品であるクッキーやチョコレートを配ったりしたのだとか。
ディズニーランドでは、、ゲストの安全確保の為ならば、
店舗の商品であっても率先して提供して良いという取り決めが
徹底しているそうで、キャストの皆さんはそれを冷静に守ったのですね?
いつもは楽しい場所・夢の国ですが、ゲストの安全のためなら
努力を惜しまないという姿勢が、アルバイトが多いと言われている中で
すごいなととても感動したのを覚えています。
「大変なことになってますが、ここが頑張りどころです。
みんなで力を合わせて乗り切りましょう!」
と。たぶん、マニュアル外だと思う。素敵だ(^^)
http://twitter.com/#!/sumogoma/status/47067581441523712
助けた人間の数の方が多い武装集団なんだって。
これって、誇りだよね。ありがとう、自衛隊!ガンバレ自衛隊!!
http://twitter.com/#!/APRIL373/status/47556811762573312
「大丈夫?無理しないで。」とメールしたら、
「自衛隊なめんなよ。今無理しないでいつ無理するんだ?言葉に気をつけろ。」
と返事が。彼らはタフだ。肉体も、精神も。
http://twitter.com/#!/yoshimicov/status/47943759190700034
『俺たちが死んでも、メルトダウンは絶対に起こさせない』
みんな頑張っています。
http://twitter.com/#!/kiu1418/status/47539218305654784
「警察が電気足りないから電気(灯り)消せって」
「私たちは御国のために電気消して過ごすのは慣れてるのよ。
今回は頭の上に爆弾降って来るわけじゃないんだもの、喜んで消すわよね」
周囲の人々一瞬しん・・・となる。涙が出そうになった。
http://twitter.com/#!/tabletalkcafe/status/46874434400821248
その中の一人が「やべえ、オレお酒のためにしかお金持ってきてないから
募金できん。ちょっとこれ買うのやめるわ」って言って商品返品して
そのお金全部募金してた。お友達も続々と募金しててすごい感動した。 すごいよ
http://twitter.com/#!/raai15/status/46546475362160640
勝手だなと思って見てたら、豚汁を足の不自由な老婆のところへ持ってって、
あったかいうちに飲んでね、と言い残すと
自分のをもらいに長い行列の後ろに並び直してた。
http://twitter.com/#!/cine_maru/status/50006310430834689
東日本大震災は、日本人にとってとても悲しく辛い災害ですが、
同時に日本人の優しさ、忍耐強さ、気高さ、誇り高さを知る
きっかけにもなりました。
こんな国民性だから必ずまた、前のように復興できると信じています。
今はまだ、そんなことは感じられないかも知れませんが、
1日でも早く不安が消え、笑顔に戻れるように
お祈り申し上げます。
3.11 不思議な出来事
あの時は震災時だったし、不謹慎だからなかなか言えなかったけど、
時が経った今だから言える・・・
って、あの時に体験した不思議な話を今になって話しだす人も
多いそうです。
小道を走っていたワゴン車は突然、異様な形をした“雲”のようなものに突入した。
真っ昼間だったが、雲はかすかに光っていて、車が進むにつれて長く伸びながら包み込むように見えたという。その間、数瞬間、ドライバーも含めて同じクルマに乗り合わせた全員が、クルマの両側に昔懐かしい古風な村落の風景や人間を目撃したのだ。
ただ、それは昔は昔でも、どこかひどくちぐはぐで、違和感を感じさせる奇妙な景色だった。
出典「3.11」とタイムスリップ・ゾーン
地震で倒れた家具の下敷きになった息子と妻は怪我をしていました。
妻は肋骨を折っただけでしたが、息子は全身を強打しており、意識不明で熱が下がりません。
1日目の夜、妻と自分は同じ夢を見ました。
息子が目の前に立ち、微笑みながら、はらはらと穏やかに泣いていました。
「どうした、痛いのか?」と聞くと、首を横に振り、
「もう痛くないけど、行かなあかん。父さん母さん、ごめんな。ありがとな」
そう言って消えました。
私達が聞いた、1歳の息子の初めてで最後の声でした。
出典 死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?36~40まとめ
ある地区(あえて伏せる)で手を挙げてる人を乗せて走り出しながら行き先を訪ねると、
完全に津波で瓦解した場所を言ってくる。
「?」と思って振り向くといない、というパターン。
その消える客は特定の容姿ではなく、複数いるらしい。
昼も出るらしく、運ちゃんも「手ぇ上げでっから、止まんねぇどなぁ」と困っていた。
出典 jiro4.blog66.fc2.com
子供連れの女が現われた。
オカルト話とバカにすることは簡単ですが、東日本大震災で
こういう不思議な体験をしている人が多いんですね。
まとめ
今年も天皇皇后両陛下ご臨席の元、東日本大震災の4周年追悼式が、
開かれました。
黙祷を捧げましたが、やはりその時のことを思い出して涙が止まりませんでした。
一日も早く被災地が復興しますように。
そしてもう二度とこんな辛い出来事が世界中どこにも起きませんように。
そう願わずにはいられません。